田ノ浦お台場跡
~ 児島にもあった お台場 ~
お台場とは、幕末に外国船から国を守る為に造られた砲台(大砲で攻撃する所)です。 東京湾の「お台場」も同じです。
~ なぜここに? ~
嘉永6年(西暦1853年)に、ペリーが来る前から江戸幕府は防備準備していたが、蒸気船を実際に見て、自信喪失 広く意見求める。そのなかで岡山藩主「鎖国方針変更反対! 防備の強化!」他大名と同じ平均的回答 しかし、藩内では、西洋砲術学習に人材派遣し 今後に備える
幕府は、「よしわかった!岡山藩に海岸防備を命じる。」 藩主「よし任せろ!」
岡山藩 今の千葉県 その後 大阪府の海岸防備を歴任する。 藩主以外「勘弁してください~ 鼻血もでない・・つらい」 失政もあり藩主交代 茂政(徳川慶喜の実弟)へ
下関戦争と薩英戦争の結果 大阪解任 瀬戸内の防備を新たに命じられる。
文久3年(1863)~ 今迄の防備業務での経験と先に派遣した人材中心に下津井・田之浦・小串など県南中心に台場を建設する。 建設現場視察中の藩主の前で試射し櫃石島との中間まで玉が飛んだらしいです。(祇園下~櫃石島1.2kmとして600m?え~短い)
完成後 管理を藩士と民兵組織「慣(こう)兵隊」のち「凌波隊」が警備にあたる。
明治3年 明治政府陸軍局より凌波隊に「引き続き警備にあたるように」と通達がある。
明治4年 凌波隊解散 台場放置 となる。 大砲は保管されていたが、戦時中の金属供出でなくなったそうです。
~ 瀬戸大橋とのつながりは? ~
下津井地区には、台場3か所・伏台場10か所(注1)あり その内の 田之浦御台場が鷲羽山トンネル南出口付近にありました。 調査の結果
注1 台場=海に面した本格的施設 伏台場=簡単で内陸道の防衛施設
注2 池田家初代藩主~明治までの文書や絵図 岡山大学蔵 公開されてます。
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