阿津走出遺跡
~保存か 利便性向上か ~
工事着手前に遺跡を調査記録する作業が行われました。 その内 阿津走出遺跡 の保存までの本四公団と岡山県教育委員会との やり取りを「岡山県埋蔵文化財発掘調査報告71」中心に書きます。 個人的な想像も一部あります。
昭和51年の分布調査では,製塩土器(注1)があったし 東側は旧海岸線にあたると推定できる。 ひょっとしたら製塩跡あるかも! しかし、工場などの造成跡地のため,保存状態は・・・・・まっ調査しときましょ
昭和56年9月 北側の工場跡地にから調査開始~オイオイ
炉跡などの製塩施設・製塩土器の土器捨て場・須恵器を伴う貝塚等々
県教育委員会 + 文化庁 = 昭和57年2月19日付けで、本四公団第二建設局長宛に公式に保存を要請する 原文抜粋「・・この重要遺跡地区においては径間を広げ,橋脚の数を少なくする措置などのご配慮を賜り・・」
昭和57 年 11月 1日付本四公団第二建設局局長名により保存に対して最初の回答
高架橋の
(県教育委員会)本数減ってるが、一番大事な所に橋脚がある 現場からは、
昭和59 年 2月 28日付 本四公団の2回目の回答
径間約50m で遺跡地内にかかる
注1 三角錐の陶器
注2 (国民、所有者等の心構)第四条
第1項 一般国民は、政府及び地方公共団体がこの法律の目的を達成するために行う 措置 に
第2項 文化財の所有者その他の関係者は、文化財が貴重な国民的財産であることを自覚し、これを公共のために大切に保存するとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならない。
場所 倉敷市児島阿津1丁目17 児島ボートレース場そば